Q リハシステムに関して,以前は
包括的comprehensiveという言葉が使われていたのですが,最近は
全人的holisticという言葉が使われることが多いようです.これらの用語の概念・差異について解説いただけないでしょうか.
A 辞書によるとholisticという語を作っている“holo”という語は“完全体”という意味で,本来,分割してはいけない(分割できない)全体ということです.この意味からすれば人間を臓器や心に分割してはいけない,その総体として一個の人間を捉えるということでしょう.一方,comprehensiveという場合には,どちらかというと“個人”そのものに対するものの見方というよりも,個人をその生きている社会(家族,地域,国)の中で捉え,個人が社会で幸福に生きるために不可欠な要素としてリハの機能を考えるといったようなニュアンスが強くなります.一個の人間はこの社会と多くの要素でもってつながっている,そうしたつながりの一つひとつをリハの守備範囲として含めるということです.人間を心身両面に対する配慮から捉え(holistic〜人間観),彼らが生活を構成していく上で必要としている医療,教育,福祉に及ぶ種々の支援を,継続的な期間の中で適切に提供する(comprehensive〜リハの実施における運用論)というようなニュアンスの使い分けがあるように思われます.ですから,一見同じような使われ方をしているこれらの用語は,実はその意味合いが異なります.
リハにおいてholisticな対象者の捉え方を配慮することは,先人が言い遺したメッセージのなかに明確に見ることができます.
「リハビリテーションは手や足を細切れとして扱うのではなく,丸ごと人間として扱わなければならないのだから,リハチーム員は互いに連絡して一つの焦点,すなわち自立的生活や社会復帰をめざす人間に焦点を絞らざるを得ない.そのためにはできるだけ広い視野からの情報を収集し,その上に立って多角的かつ統一的なアプローチが必要なのである.リハ医学の場ではしばしば総合評価と方針決定のための会議が頻繁に行われ,それぞれの専門家が情報と意見を出し合っている.医師は昔ながらの独裁者でなく,各職種間のすぐれた調整者であるとともに,重大な瞬間に際しては意志決定者としての役割を果たすことが求められる.医療は本来機械の部品修理のようなものであってはならないのだから,本来あるべき人間の医学に回帰するための旗印こそリハビリテーションであることを忘れてはならない」(砂原茂一著『リハビリテーション』岩波新書)
医療全般でholisticという語がさかんに使われ始めたということの背景には,臓器別縦割り医療の限界を超えようという意識が多くの医療者に共有され始めたと捉えることができます.(評価・用語委員会 塚本芳久)
(リハニュース13号:2002年4月15日)