故 石田 暉教授を偲んで 東海大学名誉教授 東海大学医学部教授、石田暉先生が2007年1月5日に亡くなりました。衷心より哀悼の意を捧げます。 日本リハ医学会の理事として、その他多くの分野で御活躍中であり、将来はさらに嘱望されているさなかでした。ことに来年には第45回日本リハ医学会学術集会会長の予定がありました。私自身としても教室の直接的後継者である先生に先立たれた寂寥の感はたとえようもありません。 先生には慶應義塾大学、ミネソタ大学などの経歴の後、1982年に東海大学医学部リハ学の助教授としておいでいただきました。1997年からは教室を主宰され、以後、教授として臨床、研究、教育総ての面を指導され、また対外的にも広くリハ医学界全般の向上に尽くして来られました。 東海大学医学部付属病院には3カ所の分院があり、それぞれ異なるリハがあります。伊勢原の本院では各種疾患、外傷等の超急性期に始まるリハに対応して来たのが特徴です。先生が着任直後から手がけた無菌室内からの小児骨髄移植リハは、従来免疫不全関連と思われていた範疇に対しても実はリハが有用である事実を示す異色のものでした。私が開かせていただいた第33回学術集会でインテンシブリハのテーマを掲げたよすがの一つでもあります。心・肺機能、摂食、嚥下、尿路管理、高次脳機能など、運動系以外をも広く包括するリハの発展に寄与されました。 一昨年体調を崩された頃は社会保険あるいは国際委員会などの担当理事をしておいででした。折りしも昨年の診療改変に向けて関係省庁との折衝に御苦労の時期で、心身の過負荷の非日常的存在が、一面では体調自身の変化として気付くタイミングを遅らせた可能性は否めず、振り返ると大変残念です。 その後も治療を受けつつ日常業務に積極的に取り組まれ、昨年晩秋、継続的入院となられた後もクリスマス後まで学術集会の計画、あるいは海外からの演者の招聘にかかわっておいででした。その強い想いと実践とは教室員等近在の人々の心に深く刻まれたところです。 先生が残されたものは内外を問わず先々にまで大きなステップの礎となることを確信し、御冥福をお祈り申し上げます。 |